So-net無料ブログ作成
ロゴスフィルムについて ブログトップ

ロゴスフィルムについて③ [ロゴスフィルムについて]

ロゴスフィルムについて③

前回②でお話しさせていただきましたロゴスフィルムの理念であります「弱さにある希望」ということを、今日は映画で表現することの私たちロゴスフィルムの意義についてお話したく思います。

映画という媒体は、最近はスマホやパソコンですぐに見れますが、以前は見たい方がわざわざ出かけて見に行くものでした。ので、ただ受容するものでなく、自分から積極的に見るというものでした。そのようなものを2時間前後の時間かけてみるということは好きでないと見ないし、見たら、自分のものとしてとても吸収するのではないかと思います。

またその2時間前後の時間、映画はその映画の世界を疑似体験できるということの素晴らしさがあります。

 というわけで2時間前後の作品をわざわざ自分の時間を使い、好きで能動的に見て、疑似体験するということは、今後の人生においてとても影響を与えると思います。

そのような映画の魅力に私は大学生のころ、ひきつけられました。一つの映画作品を見て、自分の人生が変わりました。

そうです。人の人生にとてつもない影響を与えることができる媒体が映画なのです。

そして30歳の時にキリストと出会い、人生が変わり「弱さにある希望」という思いが私に与えられ、その思いを映画を通して一人でも多くの方にその思いを共有したいという思いであります。

それではなぜ「弱さにある希望」を映画で表現することの意義を感じているのかと言いますと、私自身映画の魅力にひきつけられてから今まで20年間あまりずっと映画で表現することの人生であります。一人一人に必ず神から与えられた役割があると思います。私はただその役割を日々忠実に行うというだけであります。実際20年あまりやってこれています。地位、名誉、金などのことを考えると活動を続けることはできなかったかもしれません。

地位、名誉、金が大事であるという価値観ではない、ただ私は神から映画が与えられ、映画を通して表現することが与えられていると思っています。そうでないのであれば、違う道にいくはずですが、ずっと同じ道です。私自身、他の道では生活できない「弱い」人間なのかもしれません。途中映画の道と同時に障害福祉の仕事が与えられましたが、そのことがさらに映画表現を深めてくれました。感謝という言葉以外にありません。

「与えられている環境役割で感謝を思いながらいかに日々を過ごすか」

「一人一人に必ず役割がある」

ロゴスフィルムはこれらの言葉も「弱さにある希望」と同じく映画を通して皆様と共有したく思っています。

散漫な文章で失礼しました。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございます。 

また次回もし時間があれば、さらに追求していきたいと思います。



共通テーマ:映画

ロゴスフィルムについて② [ロゴスフィルムについて]

ロゴスフィルムについて、その2です。

今日はロゴスフィルムのキーワードでありますキリスト教的価値観による「弱さにある希望」という言葉について少しお話ししたいと思います。

私自身も昔は「弱さ」という言葉はマイナスの言葉のイメージで、「強さ」ということを追い求めていたと思いますし、多くの方が自分では自覚のない所でそうだと思います。しかしそれは間違いであることに気が付きました。なぜ気が付いたかと言いますと、それは障がいを抱えた方々との関わりからです。

私は日々、障がいを抱えた方との関わりから、障がいは誰にでもあるのではないかと思いました。ならば私にも。そうです、私自身も障がいがあるのです。そして、皆様にも。ただその障がいで社会で一人で生きていくことが難しい人が俗に言う「障がい」を抱えた方となると思うのですが、本当は全ての人が障がいをもっていると思います。例えば、これだけはこだわりがありどうすることができないことや、何かに依存してしまっていることなど、他人に対して自分では自覚のないところで全ての人は誰かに迷惑をかけて生活しているのではないかと思います。

それではなぜ俗に言う「障害者」と言われる方が、他人の助けによって生活している方であると一般的に思うのでしょうか?実際、社会はそうであるのでそうだとは思います。ただそれは比較の差であって、その差は実際に契約というお金が動いているので、その差は大きいというか私たち健常者とは違うという方はいらっしゃるかと思いますが、神の視点では比較の差はなく全く同じだと思います。

今回、上記の「障がい」を私は「弱さ」と置き換えてみました。

ならばなぜそのことが「希望」なのでしょうか?

聖書の言葉です。

「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」Ⅱコリント12-9

「貧しい者は幸いです。」ルカ6-20

「弱さこそ希望」であると聖書から学びました。

今日は、障がいを弱さと置き換えていますが、病気、高齢者や乳幼児など人の世話が必要な方々、実際に差別されている方々など、要するにこの社会には「ライン」というものがあり、障害者、病人、高齢者など同じ枠組みの中に入れてしまいます。それは現実的には仕方がないことかもしれませんが、本当は一人一人違う人格をもった人間であり、いとおしい愛すべき人間であります。ということは人間として生きている実感というものをすべての人は感じて生きていきたいはずです。そのことが私が思う、キリスト教的価値観による「弱さにある希望」なのでしょうか?そのことを映画を通して表現していきたいと思っています。

すみません。まだまだいろいろ言いたいことはあるのですが、なにを言っているか分からなくなってきたので、今日はこのぐらいにしておきます。誤解を生じる記載があったらお許しください。真意が伝わっていただけたら幸いです。

次回は今日書いたことをふまえて、なぜこれらのことを映画で表現するのか、お話しできたらと思っています。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございます。



共通テーマ:映画

ロゴスフィルムについて① [ロゴスフィルムについて]

これからしばらく更新できる時にロゴスフィルムとはどのようなものなのか知っていただきたく、思いを語っていけたらと思っています。ご興味のおありの方はぜひご覧ください。

まずは、ロゴスフィルムはキリスト教的価値観による「弱さにある希望」を表現する映画会社であるということです。

キリスト教的価値観による「弱さにある希望」を表現するとはどういうことなのかと簡単に言いますと、現在の競争社会にあるような、競争に勝った者が勝者であるということではなく、勝者、敗者という発想ではなく、全ての人は弱さを持っているということで、その弱さを自覚することが強さであり、希望であるということでしょうか。

次回は「弱さにある希望」とは何か、なぜそれがキリスト教価値観によるのか、またそれを映画で表現することに意義など、さらに追求していきたいと思います。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画
ロゴスフィルムについて ブログトップ